こんにちは(*^-^*)
きんちゃんです。
「大人はずるい」
中学生の頃、誰かが言ってました。
僕はそうなのかなぁと思ってました。
大人がズルいのか、その人がズルいのか
どっちなんだろう?とも思いました。
きっと大人が言う
「言うことを聞きなさい。」
とか
「嘘も方便。」
とか
「大人になったらわかる。」
とか言うからだろうと思いました。
僕は思いました。
「じゃぁ僕は
ズルくない大人になる。
そんな大人がいても
いいじゃない。」
そう決意したのです。
その誰かはどんな大人になったのだろう?
同じ時期に神社で友人達と遊んでいた時、
神社ののぼり(プラスチック性)を
折ってしまいました(;´Д`)
すると近所のおじいさんが
自分たちの自転車の登録ナンバーを
ひかえ始めこう言いました。
「学校に連絡しておくからな(~_~メ)」
そう言い残し立ち去りました。
皆、学校から親から叱られることで
頭が一杯になり一人の友人が僕に言うのです。
「金森のお父さんPTA会長だろ。
権力で握り潰せれないか?。」
真剣に言うのです。
僕は答えました。
「そういう立場だったら、
そういう事したらダメでしょ。」
「そうかぁ。」
彼はとても残念そうな顔だったのが
印象的でした。
その後、近所の他のじいさんが
通りがかったので泣きついて
事なきを得ました。
権力で握りつぶす。
僕は、本気でそう言った彼に
とても驚いたというのが
正直な気持ちです。
彼には大人はそういうものと
映ってたのだろうと思います。
そう思うと、
自分と他人とが見える世界は
同じ教室で座っていても
違って見えてるんだなぁ
と思う。
同じ空間にいても
別の空間になる。
人それぞれに
創り出す世界が
違うから
良い意味でも悪い意味でも
そうなのだ。
職場という空間。
ある人は自分の責任を果たす場所。
ある人はいればお金になる場所。
ある人は嫌な上司と関わる場所。
その人の意識が
映る世界を決めて
その人の世界を造る
家族という空間。
安らげる場所
居ずらい場所
楽しい場所
喧嘩する場所
子供が大人が『ズルいと思う世界』を
つくるきっかけになることは
一体どんなことだろう?
これも子供がどのように
世界を見ているかで
何がキーになるかは
変わってくる。
私の場合は
「大人が大人の価値観を
子ともに押し付ける事」
こう言葉にするとそうだと
思うかもしれないが
具体的に考えてみてほしい。
大人は子供のために
愛情と思って言っていることが
当てはまったりしないだろうか。
大人(その人個人)は正しいと
思っていることをしているに過ぎず
子供(その人個人)は純粋に
それはおかしいと感じている。
単純に大人と子供という見方自体
そういう偏見を持っている。
大人には言わないが子供に言うこと
子供に言うが自分では行動していないこと
悪口はいけませんと言って、
同僚の悪口を言う。
勉強しなさいと言って、
親は勉強しない。
あなたのためでしょ!と言って
実は自分のため。
子供という認識でものを見るのではなく
人という認識で見たら結構変わるのでは
ないでしょうか?
最後に
私が心掛けている事
自分が尊敬される人になっていれば
彼らは自分たちで見習っていく。
彼らが見習わないのは
尊敬される人になってないからだ。
尊敬させるのではなく
尊敬される人となる
他人を変えるなんて
馬鹿なことはやめて
自分が変わりなさい
なんか名言みたいになりました(*’▽’)