知らないという事を知る事(*’▽’)

こんにちは(*^-^*)

きんちゃんです。

今回は『知らないという事を知る』

というテーマでお話しします。

この言葉に最初に出会ったのは

ソフィーの世界という本を

読んでいた時で

ソクラテスが『無知の知』という

話が出たところです。

知っていることを知っている

ということよりも

知らないことを知らないと

いう事の方が優れている

という意味の言葉です。

僕なりの解釈をすると

知っていることを自慢すると

慢心するだけでなんの徳にも

ならないのに対し、知らないことを

素直に受け入れることで、

知らないことを学び成長できる

ことだと思うからです。

例えば

医者は治療は出来るが

もち屋さんの技術には

敵わないのと同じで

肩書がある人が威張ったり

偉いと思っても何の

意味もないのだなぁ。

なんでこのワードに反応したのか

というのも、自分の家庭は

親は偉い、

親に向かって口答えしない

といった風潮の家庭だったので

プライドというところに

反応したのではないか

と思ってます。

知っていることを強調する時は

自分の方が知っている

あなたより優れている

を強調したい時なのでは

ないでしょうか?

自分のプライドが傷つきたくない

自分の方が上だという事を

証明したい。

そんなニュアンスに感じます。

しかしながら、中には

知らない事を恥という言葉で

教育されてきたので、

知らないことを知らないと

言うのに少し抵抗が

あるかもしれません。

また、プライドが邪魔して

知らないことを知られる恐怖に

さらされるかもしれません。

大事なのは

プライドでしょうか?

自分の立場でしょうか?

自分の生き方でしょうか?

こればかりは、

それぞれに見つける必要が

あると思います。

私は生き方にフォーカス

当てます。

今、私は親ですが

子供たちに何を示しているか。

これを考えます。

私の知らない事、やってない事

そういった経験を子供は子供の

人生で歩んでます。

その私の知らないことを

この子達は知っている

そんな気持ちで子供と向き合ってます。

また、自分も知らないことを学ぶ

という事を子供と一緒に勉強する。

子供が宿題をやるときに

自分も新しい勉強をする

そうすることで

子供たちは知らず知らず

大人になっても学ぶ

これが当たり前になるでしょう。

学びに終わりはないですし、

成長に終わりもありません。

学び成長することが

私のありたい姿なので

それを日々実施していく

ことが日課になってます。

知らないことを知らないと

言えるでしょうか。

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