もう一つ
シンプルな話で
100年後は
これを読んでいる人は
誰かの先祖。
ということは
今の僕たちがいる様に
100年後は
子孫たちがあれやこれやと
悩みながら生きている。
今僕たちが悩んでいるように
先祖が信じて生きて来た結果を
子孫が背負っているのが
100年後。
およそ100年前の
1920年は大正9年。
インターネットがあるなんて
想像も出来ていなくて
政治では伊藤博文が
活躍していた時代。
80年前なんかは
ヒトラーだったり
戦争だったりと
今とは全く違った世界観。
まぁ100年と限定しないまでも
いつかは祖先になる
当たり前のことを
自覚するだけでも
未来に何を残したいのかは
見えて来るんじゃないでしょうか?
世界情勢とか
日本の政治や経済の話もそうだけど
自分の子供や未来の孫が
そこにいて
彼らはその時
何を感じながら
お墓に向かい合ったり
仏壇に手を合わせているんで
しょうか?
血は繋がっていなくても
誰かはそこにいるはずです。
その時なにをしてあげれるか
じゃなくて
今、何をしているのかが
重要なんではないでしょうか?
この二つは
自分の中にある
重要な動力源だと
僕は思ってます。
で、次に大事なことが
学ぶこと。
っていうのは
自分の中に眠っている
価値に気付いたり
その価値をお金に変換する知識だったり
お金に働いてもらう知識だったり
これらを知らないと
これからの時代
労働するためだけに
自分の命を使っちゃうことに
なっちゃいます。
これからの時代というか
今までもそうだったんだけど
今までは
寿命と社会システムの
バランスが合ってたから
問題にならなかっただけ
なんですけどね。
自分の命の価値を変換するのに
代表的なのが次の3つ。
①時間で働く
②知識や経験に働いてもらう
③色んな方法で得たお金を
預けたり、投資したりでお金に働いてもらう。
とまぁお金の話は
次にしますか。
一週間に一度
一日に一度
自分の命を何に使ったのか?
自分に問い合わせてみてくださいね。
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なんて返答じゃないことを願ってます。