心配を思いやりに変換しよう(#^^#)

皆さんは、

『心配する』って

良いことだと思いますか?

僕はあまり良いと

思ってないのです。

え~っ(;゚Д゚)

と思われる方もいるでしょう。

心配した結果

言ってしまいがちなこと

「だから言ったでしょう。」

「言わんこっちゃない。」

「なにやっとるんや。」

はい、そうです。

言われた通りにしなかったので

失敗しました。

お手数かけてすみません。

僕の青春時代は

そんな感じでした。

今では、孫に言うので

たまに喧嘩になる_( _´ω`)_ペショ

今回のテーマの心配

心配の本質

あ~やっぱり

私が正しかった。

だから、あなたは言う事を

聞かないといけないんです。

あなたのせいで

私の時間が圧迫された。

(掃除等が追加された)

といったニュアンスがあって

子供に伝わります。

敏感な子供ほど影響が強く出る

ある意味虐待ではないかと

僕は思ってます。

虐待というと

身体的な暴力が取り沙汰されてますが、

言葉による精神的な暴力

目に見えないだけあって厄介です。

心配って

子供が自発的に勝手な行動を

しない様にコントロールする

洗脳じゃないかなぁって

思います。

親は親の事情があったり

するのでしょうけどね。

子供には関係ありません。

この心配という良くないものを

思いやりに変換しちゃいましょう

「ケガはない?」

「大丈夫?」

子供は子供で

失敗したらわかるし

悪いと思ってます。

この言葉で

子供の自己否定を

安心に変換できます。

自分の身を案じてくれることで

子供は自己肯定感が増します

何が良くなかったのかを

考えることに集中できます。

僕はこっちのほうが

断然好きです(´ω`*)

心配という行為も

思いやりに変えようと

意識して日々過ごすと

習慣化できます。

一度心配と向き合うことを

おススメいたします。

もし、

そのように言える

余裕がないと

感じられる場合は

時間に余裕を持つ

自分のスケジュールを見直す

完璧主義を見直す

等で対応されては

いかがでしょう。

向き合うかどうかは

やっぱり自分次第です。

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