人に優しいということ

こんにちは(*^-^*)

きんちゃんです。

今回は

『人に優しいということ』です。

私はむかし自分を犠牲にして

人のためにすることが人に

優しいと思っていました。

自分は二の次で人のために何かをする。

小中学での口癖は「別に…」

席替えの時に自分が決まった席と

替わってくれという同級生がいて

自分が選択する機会がありました。

私は、どちらでも良かったので

「別にいいよ。」と答えたところ

担任から

「別にじゃなくて、自分の意見も

言わないとだめだよ。」

そう言われましたが、どちらでも

良かったのでその人が喜ぶなら

それが良いと思ったのです。

今思うと、この時すでに自分を

見失っていて、自分なんてどうでもいい

そんな気持ちだったように思います。

周囲の人が喜ぶ中、自分は楽しくも

なんともなく、とても無機質な感じです。

自分の中で疑問がでました。

今の自分は人に優しいのか?

なんで自分は嬉しくない?

至った答えは、

自分を犠牲にしていると

自己否定、劣等感が膨らむだけ

自分自身が他人の喜びを

喜べなければ

相手は心底喜ばない。

相手は、感謝より悪かった

気持ちの方が強くなる。

(自己中は別ですが(´ー`))

他人の喜びを喜べる自分を

育てることから始めなければ

人に優しい人にはなれないと思い

自分磨きの日々が始まりました。

一言で言うと

「自分を愛して他人をも愛する」

そう考えると

恋と愛の違いが明確になります。

好きな人が違う自分以外の人を選ぶ時

その人が自分の価値観と違う幸せを選ぶ時

自分はそれを喜ぶか喜ばないか。

喜ぶならそれは愛といっていいし

喜ばないなら真の愛ではない。

それは欲求、脳内麻薬の類でしょう。

辛いのは脳内麻薬が切れるから。

次に気をつけなけらばならないのが

喜べるようになったら

それを威張らないこと。

威張る気持ち、やってあげた

そんな気持ちが芽生えた瞬間に

それは虚栄心、優越感に変身する。

優しさが優しさでなくなる時。

自分だけを愛する人は

相手の犠牲を強要する。

詐欺、依存なんかはこれに当たる。

彼らは、あなたが優しくしないこと

行動しないことを否定する。

そして結果に対しての責任は

あなたが決めたことと言う。

優しさや愛は強要されるものではない。

人に優しいこと愛することを学ぶと

多くがみえてくる。

たどり着いた答えは

しくすること、愛することは

それ以上でも、それ以下でもない。

自分が劣っているわけでも

自分が優れているわけでもない。

ただ、優しさがあって、愛があり

喜びと成長があるだけだ。

これが幸福感だ。

もし、自分を犠牲にしようとする時は

その前に手を挙げて欲しい。

今までのあなたの優しさが、

あなたを助けて、相手が

あなたに優しくする機会が出来

信頼関係はより深まるから。

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